マンガと方言
- 作者: こうの史代
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2008/01/12
- メディア: コミック
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- 作者: 岩本ナオ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2007/12/21
- メディア: コミック
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前者は以前から予告されていた、軍港・呉を舞台にした作品、
後者はflowers連載のファンタジックな作品です。
こうのさんについては、読む度に「マンガ絵の持つ力」を再認識させられます。
絵を描く事が好きな少女すずが、故郷・広島に帰って「最後かもしれない」と思いながら描くスケッチがマンガのコマとして取り入れられる回があります。
そこで描かれる広島の見事さときたら。
時期的におそらく、それは「原爆によって失われる」広島のデスマスクのようなもの、になるだろう、という知識を持つ人にとっては堪らない描写でしょう。
知識を持たない人に対しても、後で作品を通して読み返す時に、おそらくとても印象深いシーンになるだろう、という予感が伝わる
こういうとき漫画表現論に詳しくない自分が悔しいですが、伊藤剛さんあたりの論考を読んでみたいような。
全体の感想については下巻が出た時にまた改めて。
閑話休題。
この二つのマンガの共通点ですが。
作中に瀬戸内の方言(前者は広島、後者は岡山)が出てきます。
どちらも女性の作家が描いたマンガなのですが、最近「ラブ☆コン」とか「砂時計」とか、
女性作家のマンガで作中に方言が出てくるものが結構あるようです。
マンガ内のキャラクターに対する性格付けとして関西弁を喋らせたり、という手法は昔から
ありましたし、少年マンガや青年マンガでは昔からちょこちょこありましたが
(はだしのゲンなんて標準語だったらあの世界は表現不可能でしょう)、
女性の描く世界ではこれまで、どちらかというと「田舎の匂い」として回避されてきたものでは
なかったでしょうか(あるいはギャグマンガ内で笑いのネタにされる、とか)。
前者は過去の広島を描く物語である、ということで、作中の人物が広島弁を喋るというのはある種必然的です。
後者は現代の高校生が題材になっていますが、この物語の根幹をなすのは
「主人公が天狗の娘である」という民話的出自です。
天狗が当たり前に存在する世界を描き出すのに、舞台として岡山(=マンガ的などこだかわからない場所、ではなく)を設定するのは、おそらく作者の岩本さんにとっては必然だったのでしょうし、
舞台をきちんと設定する事によって、天狗の伝承の出どころ(是非はともかくとして)がはっきりと掲示され、世界観が不思議と地に足のついたものになっている、という効果があるのではないかと思われます。
これまで、少女マンガや女性が描いたマンガでは、マンガ内キャラクターはマンガのお約束によって
決められた言い回しを使う事が多かったようですし、現在もそのお約束にのっとった喋り方をしていると思うのですが、(例えば「〜わよ」なんて今時使わないだろ、的な)
※参考
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51110570.html
(少年マンガのキャラもそうかもしれませんが)、
人物の台詞という、マンガ表現の根源に関わる部分(口調はそのキャラクターの性格をあらわすものである、という立場に立てばですが)で、方言を用いる事によってキャラクターの性格をより立体化させるというのは、今後マンガの表現に変化をもたらすようになるのかな、と思いつつ。
こんなに小さな土地である日本であっても、言葉の違いは様々で、その地域文化の違いも様々なのだから、それをマンガ表現の中に取り入れてゆく、というのは、ある種必然的なものなのでしょうね。
…大学時代にもっと真面目に言語学の本を読んどけば良かった(泣)