90ミニッツ感想セルフメモ

ええと、以前別アカでツイートした90ミニッツネタバレをまとめておきます。
本当はまだ書き足りないので、また足すとは思うんですが、とりあえず。
まだ色々資料を読めてないんだよっつーことで。
特大ネタバレなのでお気をつけ下さい。



まずざっくり物語の展開に関わる部分の整理。芝居の内容自体は、昭和60年6月6日に起きたエホバの証人輸血拒否の事例、いわゆる川崎事件を下敷きにしてます。この時医師は5時間かけて両親を説得したものの両親は輸血拒否。少年は「死にたくない、生きたい」と医師に告げるも死亡。
ビートたけし主演でドラマ化もされている余りにも有名な事例ですが、平成12年の最高裁判決で強制的に輸血した医師がインフォームドコンセント不足を理由に損害賠償請求が通った判例があるので、医師(男1)は必死に承諾書へのサインを求めたというのが背景にあると。
ちなみに本当のところ、平成8年に未成年がああいった状況に置かれたときには、親の親権を停止して医師が強制的に輸血を強行する事も出来る、というガイドラインを医師学会側が出して、今はそれに従って救命したりもしてるそうなんですが。
エホバの証人 こっちも参照。これは医師側からの視点ですが。脚本は基本川崎事件を下敷きにしてます。違うのは、最後の段階で、男1が手術の最終決断を下すところ。たった3秒の差ですが。この辺が多分、賛否の分かれている部分なんだと思います。
というのもあの結末は逃げだ、という意見を結構見かけたので。逃げって言っている人達は実際の所は子供が死亡している、というのを知っている人達だと思うんですね。実際読売新聞の劇評はそんな感じだった。昔の法クラスタ的にはまるで講義を聞いているような気分になったんですが…
なので、男1が血液製剤どうこう言っているのは、まあ医療監修法律監修が入っていると思うので、その辺のリアリティを演出するためだろうなとは思います。ただ、私は基本男1の視点から見ていたんですが、男2の「それはあんたのエゴだ!」以降で滂沱の涙を流したという…。
三谷さんインタビューで「倫理」がテーマと言ってますが、実際の所男1の「医師としての倫理とその裏の男1としての倫理」が男2の「ある集落に住む、その集落の倫理に従って生きてきた男が医師としての倫理を(結果的に)叩き壊す話」なのかなと思ってます。多分ここ変わるだろうけど
二人は人の子の父親という部分では等価なのだけれど、決定的に違うのは死に対しての考え方。男1は肉体的な死を回避したい。男2は魂の死を回避したい。で、男1は医師として、肉体的な死を回避するために男2を説得するけれど、男2はその裏に透けて見える男1の保身を見ぬいて、慣習のために子供への輸血なしの治療を望む自分達よりも余程エゴイスティックだと責め立てる。狭い集落の中で生きてきただけに純粋な怒りは、その前提条件になる価値観の是非を判断してしまいがちになる私の頭を停止させました。近藤さんの演技すげえ。本当に泣いてたし怒っていた。
ただ、あの芝居の最後は実は凄く重い。確かに子供の命は助かる。けれども、あの妻ある限り、おそらく母は必ず男1を訴えるだろう。そうなると男1の囁かな夢は遠いものになる。そして男2には、結局子供の肉体を救うのならば決断するのは自分でも良かったんじゃないのかという後悔と、おそらく彼の所属するコミュニティからは追い出されるであろうということ。ずっとその世界の中で生きてきて、その価値観にどっぷりと浸かってきた男2が、果たして外の世界に出て普通の生をまっとう出来るのか。肉体の命を救った果てに訪れたのは二人が積み上げてきた囁かな幸せの終わり。
男2の「事故さえなければ」が繰り返されるのが、それを象徴している。事故が起こった、男1が副部長を務める病院に運ばれた、その時点で子供の生死がどちらに転んでも破滅が見えているのだけれど、ただ一つ救いなのは、子供の命が助かった事…というかそれ以外にあの話に救いは全くない…
ただ救われた子供の命も、あの母親にそのまま育てられるのならば多分ずっと母親はその事を子供に言い続けるだろうし、と考えると本当に生きていて良かったのか、とさえ思わせるような終わり方だとは思う。(肉体的な)命は尊い、それよりも魂の死を恐れる人たちには論理が通じない。
同じ父親という立場であっても決して相容れない倫理。でも水が零れ落ちるように子供の命が損なわれそうになる中、最終的には承諾書なしでの手術を迫る男2と、保身の為にサインを迫るものの、裁判を覚悟の上で受話器を取った男1との対比は凄く好き。結局結論は見えている。そして、実はギリギリまで保身に走っていたのは男1だ、ということをはっきりあらわすための対比。それは男1が部長になり、丘の上に家を立てて家族と暮らす、という囁かな、本当に囁かな夢を実現させたいから、というとても皮肉な内容を孕みながら。エゴと医師としての倫理のせめぎあい。そして男2の、コミュニティの中での自分の保身を図りたい、というエゴと、息子の命を救いたい、という純粋な父親としての情とのせめぎあい。実は二人は本質は凄く似ている。どちらも狭い世界で生きていて、それぞれのコミュニティの価値観に従って生きている。そのぶつかりあい。
設定されている状況は重く極端なものだけれど、倫理や信念という綺麗事だけではなくて、小市民的なささやかな保身やエゴを90分で見せたあの構成は凄まじいと思う。私は三谷幸喜のああいう脚本の作品が見たかったんだよ!
50歳の三谷幸喜が、50歳の西村雅彦、近藤芳正と組んだからこそ出来る芝居だと思う。何も喋らずただ黙って部屋をうろうろする、電話がかかってくるのを待つ時間。そして、一瞬だけ交わるように、男2の手を握る男1。不安を押さえるように、指を絡める男2。その手がすぐに離れてしまうその距離感こそが、二人の交わらない信念とエゴを全て表しているんだと思います。 …って今言えるのはここまでだ。出来る事ならもう一度見たいいいいいいいいいい!!!!!
あとこれ、バックグラウンド知ってるのと知ってないのとじゃ、多分観た時の受け取り方がかなり違うんじゃないかと思います。私は輸血拒否、というツイート見た時点でネタはほぼ割れたようなものだったんで、どう料理するかが楽しみだったんですが、想像以上でした。

結局、より多くのものを失うのは父親の方なんですよね。彼が信じる教えに従うならば、身体が滅びてからもなお。エゴを貫き通した結果。それでも自分を変え切れない父親は許せなかったし、それだけにやるせない。
http://bit.ly/v573SO  実際の事件では子供が「生きたい」と主張しながらも手術に同意せずに子供が亡くなっているので、その辺りの関連で「逃げ」と感じる人はいるだろうなと。実際医療関係者はこういうケースに当たっているようですし。
父親の心情は作品で語られているのが全てじゃないかなと思います。視野の狭い、小さなコミュニティでささやかな幸せを享受している父親。何もなければ、幸せでいられたからこそ、大きな事件が起きたときに柔軟な対応が出来ない。
最後に救いを持ってきた所が三谷さんらしいとは思います。じつは最終的には救いにならないところも含めて。